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東京高等裁判所 昭和27年(ネ)729号 判決

控訴人 泉孝次郎

被控訴人 金沢市 外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人等は各自控訴人に対し金二十三万五千六百八十七円四十三銭及びこれに対する昭和二十六年九月十八日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決、並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人等代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方(補助参加人を含む)の事実上の主張は、控訴代理人において「(一)本訴は国家賠償法第一条の規定によつて、控訴人が被控訴人等に対して損害賠償を請求するものであつて、単なる民法上の不法行為を主張するものではない。従つて被控訴人金沢市長は都市計画事業の執行管理者として、また被控訴人金沢市は同事業の費用負担者として、いずれも本件損害の賠償責任がある。(二)被控訴人金沢市長は都市計画法に従つて主務大臣の監督のもとに金沢市において都市計画事業を執行する国の行政庁である。被控訴人金沢市長は金沢市富本三口新線道路を新設する都市計画事業を執行する官庁である。都市計画事業の執行は都市計画法及び同法関係法令のもとに行われるものであるから、都市計画事業を執行する行政庁は、法令、訓令、通牒、判例、先例等に準拠することを要し、取扱に疑義があるときは監督官庁である主務大臣の指示訓令を仰いだ上、事業を執行すべきものである。都市計画法に基いて敷設する道路敷地に存在する工作物の移転について給付すべき補償金に関して関係人を定めることは、都市計画法及びその関係法令に覊束される行為であつて、自由裁量は許るされない。もし法令上明白でないときは、その解釈適用に関する訓令先例等に従うことを要し、不明のときは主務官庁の指示を受けることが、執行官庁として当然の責務である。都市計画事業を執行する行政庁が一定の日時を基準として補償調書を作成した後に権利の移転があつたときは、その権利移転の両当事者から連署の権利移転に関する届出をなさしめ、また所有権の移転を公示すべき登記簿の記載によるべきものである。然るに主務官庁の指示を求めないで、権利譲受人と称する一方の者のみの言明を聞いて補償金交付事務を処理することはできない。これを敢てしたことは重大な過失である。仮りに一歩を譲つて当該関係当局が都市計画の執行による補償金給付事務に精通していなかつたとしても、代金一万円で売買された物件に対してその買収物件の補償金として金二十四万円を給付すべきかどうかの問題を生じたときは、その買取物件の価額に補償料を含むかどうか、また除外の特約が存在せぬかどうかについて、疑念を抱いて調査すべきは通常人の常識である。然るに本件においては、補償調書に記載された権利者に一片の照会をすることなくして補償金の支給がなされたものであるから、被控訴人等には重大な過失がある。(三)本件については被控訴人等から控訴人に対して(イ)指令書を交付し、(ロ)指定物件の買収、(ハ)指定物件上の工作物等の移転の補償金額、(ニ)地上物件取払の要求、(ホ)取払不施行の場合の代執行、(ヘ)代執行の場合の費用弁償、(ト)収用法に基く収用手続の予告等の申出があつたため、控訴人は本件買収物件についての買収協議は土地収用法に基く起業者金沢市長と土地所有者及び関係人としての控訴人との協議と了解し、かつかように了解するについて何等の過失がない。被控訴人等は本件について、「土地収用法による公告通知はしておらず単なる民法上の売買契約であつて、土地収用法の適用はない。」というが、もしそうだとすると、前記(イ)ないし(ト)の事項は、法令上の根拠なくして控訴人に対しなされた威嚇及び偽罔による不法行為である。然るに控訴人は前記のような被控訴人等からの通告により、本件については土地収用法が適用され被控訴人等の交渉に応じなければ、本件土地は収用されまた本件建物を収去しなければ被控訴人市長から代執行され、その費用を弁償させられるものと信じて、これを要素として本件土地の買収に応じ、また本件建物の取毀を条件としてその際生ずる取毀材を補助参加人に売渡したものであるから、右の意思表示は要素に錯誤があり本件各売買契約は無効である。従つて被控訴人等は控訴人に対して本件土地を返還するとともに、補助参加人をして本件建物を控訴人に返還せしむべきである。然るに被控訴人等は本件建物を補助参加人をして取毀させたため返還は不能となつた。これは被控訴人等が控訴人をして要素に錯誤ある意思表示をさせた結果であるから、控訴人は被控訴人等に対し故意または過失による損害賠償を請求するものである。」と述べ、被控訴人等代理人において「原審における補助参加人の主張を援用する。控訴人の右主張事実は否認する。」と述べた外、原判決事摘示と同一であるからこれを引用する。〈立証省略〉

理由

第一、被控訴人金沢市に対する請求について。

一、金沢市においては昭和十一年二月十四日内務省告示第四八号を以て同市における都市計画が認可されたこと、被控訴人金沢市(以下金沢市という)は右都市計画事業の執行に要する費用の負担者であること、控訴人の所有する金沢市横伝馬町二十四番地の一宅地十七坪八合一勺は金沢市の都市計画路線富本町三口新線街路用地に予定され、被控訴人金沢市長(以下金沢市長という)は昭和二十年十月一日頃控訴人に対して右土地を前記街路用地として指定したこと、当時控訴人は右地上に木造瓦葺二階建店舗一棟建坪十五坪二階十坪の家屋を所有していたので、金沢市長から右建物の収去を求められていたことは本件当事者間に争いがない。

二、控訴人の主張するところを要約すると、「本件家屋は終始控訴人の所有に属するものであるにかかわらず、金沢市長を始め都市計画事業に当る金沢市吏員は、故意もしくは過失によつて、該家屋は補助参加人が控訴人から買い受けその所有に帰したものと盲断して、昭和二十四年春頃補助参加人をして右家屋を取り毀つて収去させ、金沢市はその補償として補助参加人に金二十三万五千六百八十七円四十三銭を交付したものであつて、このため控訴人は当然支給さるべき右補償金を受領し得なくなるとともに、本件家屋の所有権を失う結果となつて、その家屋の価格に相当する損害を被つたものである。」ということに帰する。

そして金沢市長が昭和二十四年春頃補助参加人をして本件家屋を取り毀つて収去させ金沢市が補助参加人に対してその補償として金二十三万五千六百八十七円四十三銭を交付したことは当事者間に争いがない。

よつて控訴人の主張について以下に順次検討を加える。

三、まず本件家屋の取毀収去従つて補償金支給当時におけるその所有権の帰属について考えてみるに、金沢市は「控訴人は昭和二十一年七月十八日本件家屋自体を補助参加人に売り渡したものであるから爾後本件家屋の所有権は補助参加人に帰属したものである」と主張し、控訴人は、「昭和二十一年七月十八日なされた本件家屋に関する売買契約は同家屋取毀後の諸材料を売り渡す契約をしたもので、本件家屋そのものの所有権を移転する契約をしたものではない」と主張するのである。

(一)  成立に争いのない乙第一号証は、本件家屋の売買について公証人生水乙松が昭和二十一年七月十八日作成した家屋売買契約公正証書である。この公正証書こそは本件において争いとなつている売買契約の内容を判定すべき有力な資料となるものである。もつともこの公正証書の成立について、控訴人は「訴外福岡賑次郎が控訴人を代理して公正証書の作成に干与しているが控訴人は右公正証書作成について同訴外人を代理人としたことなく、この公正証書の作成に関する控訴人の委任状(甲第十二号証の一)は偽造されたものである。」と主張し、原審並びに当審(第一回、第二回)における証人泉尚人及び原審並びに当審における控訴本人はいずれも右主張事実に副う供述をしているけれども、右各供述は、原審並びに当審証人福岡賑次郎、清水順(当審はいずれも第一回、第二回)、の各供述と、右甲第十二号証の一の委任状における控訴人名下の印影が控訴人の印章によるものであることは控訴人の認めるところである事実とに徴して措信し難く、むしろ右証人福岡賑次郎、清水順の各供述と前記証人泉尚人控訴本人の各供述(いずれも後記認定に反する部分は採用しない)を綜合すると、本件家屋の敷地が金沢市の都市計画によつて、道路敷地となつたので、本件家屋の善後措置が必要となつたが、控訴人は老令のうえ、本件家屋が遠隔の地にあるため、控訴人はその長男泉尚人に本件家屋に関する一切の事項を委任し、控訴人の印鑑も同人に保管させて右公正証書作成当時泉尚人を金沢市に赴かしめ泉尚人は現地において金沢市係員、控訴人の差配福岡賑次郎、及び契約の相手方清水順と本件家屋の移転及び補償金について折衝を重ねていたが、公正証書作成当日である昭和二十一年七月十八日泉尚人は公証人生水乙松役場において、福岡賑次郎を右公正証書作成に関する控訴人の代理人に選任する委任状に代つて控訴人の印章を押捺した上、該委任状を利用して福岡賑次郎が控訴人の代理人として右公正証書を作成する席に立会つたことが認められる従つて右委任状は適法に作成されたもので福岡賑次郎は控訴人の代理人として右公正証書を作成すべき権限を有するものであるから、右公正証書は本人たる控訴人に対してその効力を生ずるものといわなければならない。従つて控訴人の右主張は理由がない。

(二)  よつて右公正証書はいかなる趣旨の契約をするものとして作成されたものであるかを考えてみる。

(イ) 右公正証書の文言を調べてみると、(1) その第一条には「昭和二十一年六月二十日売り主泉孝次郎はその所有にかかる後記表示の家屋(本件家屋)を代金一万円也を以つて、買主清水順(補助参加人)に売渡し、買主は同代金でこれを買受けたり。」とあり、また同条第三条には「売主は買主に対し売渡目的物件の完全なる所有権を移転し、且つ物件を引渡し買主はこれが所有権を得、その物を受取りたり」との記載がある、一方(2) 同第四条をみると「買主は金沢市横伝馬町二十四番地の土地は金沢市において道路取拡げのため買上げるものにして同地上にある本契約の家屋も市の命令次第取毀つべきを承諾の上買受けたるものなるを以つて、該命令次第買主の自費を以つて為すべきことを承認したり」とあり、また同第五条にも「売主は買主に対し所有権登記をなすべきも前記の事情により当事者双方合意の上その登記を省略したりと雖も取毀しと同時に売主の自費を以つて取毀登記手続を履行すべきことを約諾したり」とあり、また公正証書作成に関する控訴人の委任状(甲第十二号証の一、その真正に成立したものと認むべきことはさき説明したとおりである)には代理を委任した契約の内容を「但し、家屋は取毀しを目的とする売買なり」と定めており(3) これ等(2) 記載の文言は本件公正証書が単純な本件家屋の所有権移転を目的とする契約であるならば、通常必要とするものではない。(右(1) (2) 記載の文言に関する当審証人清水順(第一回)福岡賑次郎(第二回)の供述は措信しない。)(4) この(2) 記載の文言及(3) の事実と、後に認定する右公正証書作成の前後にわたる諸般の事情とを綜合して公正証書に記載された意思表示の趣旨をし細に検討して考えると、右(1) 記載の文言は当事者の真意からみると、甚しく適切を欠くものであつて、右公正証書における契約当事者の真意は本件家屋の所有権を移転することにあつたのではなく、本件家屋取毀後の廃材を売り渡す契約をするにあつたものと認めるのが相当であると考えられる節がある。

(ロ) 成立に争いない甲第六号証、同第十号証の一、二、及び同第十一号証の一、二(十一号証の一は成立に争いがなく、同号証の二は当審証人福岡賑次郎(第一回)の証言により成立を認める)当審証人泉尚人(第一回、第二回)の証言原審並びに当審における控訴人本人の供述を綜合すると、本件家屋は昭和三、四年頃控訴人がその住居とする目的で材料も相当念を入れて建築したものであるが、昭和六年頃から補助参加人に賃貸し、同人が居住して来たところ、その後金沢市の都市計画によつて、その敷地が道路敷地となる話がおこつていたが、昭和二十一年三月頃控訴人に対し金沢市から該土地は金沢市の都市計画による道路拡張によつて道路敷地となる旨の通知があり、その二、三ケ月後には、福岡賑次郎から本件家屋を買いたい人がいるから売つてはどうかとの知らせがあつたので、同年七月頃泉尚人は前述のように控訴人の代理人として金沢市役所の都市計画課に出向き、都市計画に関する原簿を閲覧したとき同課係員からマゴマゴしていると金沢市役所で本件家屋を取毀して了うと告げられたので、控訴人は早急に本件家屋が取毀になるものと考えて補助参加人と前記契約をしたものであることが認められる。そして補助参加人もこの事情を知つていたことは原審証人清水順の証言によつて窺われるから、特段の事情が認められない限り、間もなく取毀しになることが判つている家屋を、家屋そのものとして買い受けるなどということは通常あり得ないものといわなければならない。

(ハ) 本件家屋の取払については、金沢市からその補償金が家屋の所有者に対して支払われることを控訴人及び補助参加人が了承していたことは弁論の全趣旨に徴し当事者間に争がないところであるから、もし右公正証書による売買契約が本件家屋そのものの所有権を移転する契約であるならば、特に家屋取こわしに関する費用の負担などに関する取りきめまで公正証書に記載しているような当事者(前掲乙第一号証の公正証書の第四条、第五条参照)が、右契約の趣旨によつてその帰すうのきまる本件家屋の移転補償金に関し何等かの取きめを記載しない筈はないものと考えられるにかかわらず、右公正証書にはこれに関する協議事項の記載はない。しかして当審証人泉尚人(第一回)の供述によれば、本件家屋の移転補償金は控訴人が取得することになつていたが紳士協定としてそのことは公正証書には記載しなかつたことが認められる。

(ニ) 本件家屋に関する移転補償金を控訴人が受取るかまたは補助参加人が受取るかは、右売買契約の結果決定する問題であるが、控訴人が近く支払を受けられる見込のある家屋移転の補償金を放棄する意思のあつたことを明認し得る資料がない限り、控訴人は該補償金を自ら取得するつもりでいたものと認めるのが相当である。

(ホ) 成立に争いのない甲第十号証の一、二によると、本件売買契約前、福岡賑次郎は右家屋の処置について手紙を控訴人に差し出しているが、その手紙には「その人は買つてもすぐこわさず、市役所の方から取こわしを命ぜられるまでこわさず、まつて上げると申しておられます。なぜならば、今すぐこわせば、御貴殿の方えは地面の代金しか手に入らず、移転料はもらえなくなりますとのこと。こんなにまでして下さる人ですから是非早い方が良いと思います。」と記載されており、この文言の趣旨からみると、控訴人が本件家屋に関する契約をなすについては、控訴人においてその移転補償金を取得することを前提としていたことが窺われるのであつて、原審並びに当審(第一回、第二回)証人泉尚人の証言によれば、控訴人の代理人である泉尚人は金沢市役所において本件家屋の補償金について種々折衝を重ねていたことが認められるから、家屋移転の補償金は通常家屋の所有者と売買契約の形式で支払われるものであることについては係員から説明があつたことは充分推測し得られることであり、控訴人が本件家屋の移転補償金を自ら取得する考であつたのならば家屋そのものの所有権を移転する契約をする筈はないものといわなければならない。

(ヘ) 右公正証書による売買契約が家屋そのものの所有権を移転する趣旨であるならば、その敷地の使用に関する契約が当然なされなければならないのにかかわらず、当審証人福岡賑次郎(第二回)の証言によれば、本件家屋敷地の使用に関する話合は何もなかつたことが認められる。

(ト) 当審証人清水順(第一回)の証言によれば、同人は昭和二十四年六月十八日金沢市から本件家屋の補償金として金二十三万五千六百八十七円四十三銭を受取つた後間もなく取毀材としてこれを金七万円で牧畑保則に売り渡していることが認められる。然るに、当審証人泉尚人(第二回)の証言により成立を認め得る甲第十五号証(全国木造建築費推移指数表)によると、昭和十三年三月の木造建築費を一〇〇とすると、昭和二十一年三月は二、四一四、昭和二十四年九月は一六、〇六四であり、昭和二十四年九月は昭和二十一年三月に比較すると約六、六倍となり、また右証言により成立を認め得る同第十六号証(日本銀行統計局作成の東京闇及び自由物価指数)によると、建築材料は昭和二十一年九月を一〇〇とすると昭和二十四年六月は四一四となり約四倍となる。これ等の資料と当審証人野沢武、原審並びに当審における証人泉尚人、控訴人本人の各供述を綜合して考えると、昭和二十一年七月十九日の本件家屋に関する売買契約が、家屋そのものの所有権を移転する契約であるとするならば、その代金一万円は、その後に支払われた該家屋の移転補償金及び補助参加人が牧畑保則に売却した取毀材の代金と比較して安きにすぎる嫌がある。

(三)  以上認定の諸般の事情から考えると、本件公正証書に表示された売買契約はその公正証書記載の文言のみによつては必ずしも明確とはいえないけれども、当事者の所期するところは本件家屋取毀の諸材料を売り渡す趣旨の契約であつて、本件家屋そのものの所有権を譲渡する契約ではないと認めるのが相当である。従つて本件家屋が取毀収去されその補償金が補助参加人に支払われた当時においては本件家屋は依然控訴人の所有であつたものといわなければならない。

(四)  尤も原審証人清水順の証言によれば、補助参加人は本件家屋を昭和六、七年頃以来控訴人から賃借していたが、本件契約後はその賃料を支払つていないことが認められるけれども、原審証人泉尚人の証言によれば本件家屋は前記契約後二ケ月位で取毀されることが予想されていたし、かつ亦補助参加人からも免除を求められたので僅かの期間のことでもあつたので、控訴人は前記契約後は賃料を受け取らなかつたものであることが認められるから補助参加人が前記契約後本件家屋の賃料を支払わなかつた事実は前記認定に支障を及ぼすものではない。また、成立に争いない乙第四、五号証、丙第四号証(いずれも本件家屋税領収証)が金沢市と補助参加人の手中にある事実と原審証人清水順の証言によれば、補助参加人は本件契約後本件家屋の昭和二十三年度、昭和二十四年度の家屋税を支払つていることが認められるけれども、前述のように、控訴人は前記契約後の賃料を免除したことから考えれば家屋税は賃料に比較すれば小額であるので補助参加人が立替えて支払つたものと推測し得るから右の事実も亦前記認定を左右するに足りない。

(五)  以上の各認定に反する証拠はいずれも採用しない。

四、控訴人は、なお予備的に右公正証書による売買契約は要素に錯誤があるから無効であるという趣旨の主張をしているけれども、さきに認定したように、右売買契約は本件家屋そのものの所有権を補助参加人に移転したものではなく、控訴人主張のように右家屋取毀後における諸材料を売り渡したものに外ならないから、本件においては控訴人の右主張の当否を判断する必要はない。

五、以上説明のように本件家屋は終始控訴人の所有に属するものであつて、補助参加人としては単に取毀後における諸材料を買い受けたものに過ぎないから、金沢市における都市計画事業の実施のため取毀収去された本件家屋に対する補償金は控訴人に交付さるべきものである。従つて金沢市が補助参加人を右家屋の所有者と認め、これに前記補償金を支給したことは違法な行為といわなければならない。

しかしながら金沢市に対してかかる違法行為による損害の賠償を請求しようとするに当つては、金沢市長を始め当該事務を担当する金沢市吏員において故意もしくは過失の責があることを要するのは勿論である。

よつて金沢市事務担当者にかような帰責原因があるかどうかについて検討する。

(一)  金沢市事務担当者が前記補償金支払当時本件家屋の所有者が控訴人であることを知りながら、金沢市において敢て右補償金を補助参加人に支給したものであるということ(すなわち故意の責任)については、これを認めるに足る証拠はない。

(二)  当審証人八巻淳之輔、福山秋義、村瀬義正、高田啓一、勝見進の各証言並びに弁論の全趣旨をあわせ考えると金沢市において都市計画事業を実施するに当つて、土地建物を収用する必要が生じた場合においても、事業の円滑なる進展を期するため、都市計画法並びに土地収用法を直ちに発動することなく、専ら関係者間の任意の話合によつて事を処理することを原則としてきたものであつて、本件においても、金沢市において建物所有者と認めた補助参加人との間に話合を進めた結果、前記補償金を以て補助参加人は任意に右家屋を取り毀つたものであることが認められる。

(三)  もとより金沢市が本件補償金を交付するに当つては、何人が本件家屋の真実の所有者であるかを充分調査した上、正当なる所有者にその支払をなすべきものであることは勿論である。

この点について金沢市においていかなる調査がなされたかということについて、原審証人清水順、当証審人村瀬義正、高田啓一、勝見進の各証言によると、金沢市事務担当者は(1) まず本件家屋を買い受けたと称する補助参加人についてその所有権の帰属に関して調査し、(2) 次に右家屋の売買に関する前記公正証書(乙第一号証)の内容を検討し、(3) 更に金沢地方裁判所に赴き所属職員に右公正証書に関連して問い合せた上、本件建物そのものの所有権は売買により控訴人から補助参加人に移転したものと認定したことが認められる。

(イ) 金沢市事務担当者がまず本件家屋を買い受けたと称する補助参加人についてその所有権の帰属に関し調査をしたことは、調査の第一階段として適切な措置である。

(ロ) 前掲乙第一号証の公正証書の文言は必ずしも明確ではない。当裁判所は右公正証書作成に至る諸般の事情を審理した上、これに基いて当事者の意思を測定し、これによつて本件売買契約は家屋そのものの所有権を補助参加人に移転するものでなく、単に取毀後における諸材料を売り渡したものであるとの結論に漸く到達したのである。

従つて金沢市事務担当者が前記公正証書記載の第一条、第三条を主眼として考え、更に同第四条、第五条の文言も本件家屋が近く取払になるのでその趣旨を記載したものと解釈して、本件家屋そのものは控訴人から補助参加人に売買によつてその所有権が移転したものと解したことは、結果的にみてその解釈には誤りがあつたとしても、当時としては無理からぬことである。この点を捉えて金沢市事務担当者に調査不十分の過失があるというのは酷に失する。

(ハ) 更に金沢市事務担当者が金沢地方裁判所職員について右公正証書に関連して問合をしたことはその調査の方法及び相手方について妥当でないものがあることは勿論であるが、前掲証拠によると、金沢市事務担当者が調査の完全を期するため、已むなく行つたものと認められるから、その不当を責める前に、むしろ調査の十全を期するための措置に出でたものと解するのが相当である。

(三)  もつとも不動産登記簿上右建物の所有者と表示されている控訴人について、金沢市事務担当者が直接本件家屋の所有権の帰属に関して調査をしていないことは、弁論の全趣旨に徴して明かであるが、前掲各証拠によると、金沢市事務担当者が前記公正証書に記載された文言に従い、それが公の証明力を有する公正証書であると考え、ことに前掲乙第一号証の公正証書第五条によつて所有権移転登記は当事者の合意によつてこれを省略する建前となつていたので敢て控訴人について本件家屋の所有権帰属について調査しなかつたという事情がわ窺れるから、かかる調査をしなかつたことは必ずしも金沢市事務担当者の手落ちとは断定できない。

(四)  前記補償金支給当時において本件家屋は、控訴人の所有として登記されていたことは前述のとおりである。ところで前述のような補償金は建物の所有者に交付さるべきであるが、金沢市は前述のような調査に基いて補助参加人を所有者と認めてその支給をしたものであるから、その支給について金沢市事務担当者に故意もしくは過失の責がない以上は、金沢市に対してその責任を問うことはできない。

(五)  以上認定の各般の事実から考えると、金沢市事務担当者において、前記補償金を交付するについて、故意もしくは過失の責はないものといわなければならない。

(六)  以上の認定に反して、金沢市事務担当者に本件家屋の所有者を誤認したことについて過失ありと認むべき確たる資料はない。

(七)  控訴人は、都市計画事業の実施に当つて疑義があるときは、監督官庁の指示を仰ぐ外、先例訓令等について詳細に検討すべきものであると主張するが、本件については家屋所有権の帰属のみが問題となるのであるから、控訴人所論のような調査をすることは必ずしも必要でない。

六、また金沢市が本件について、控訴人の主張のように、控訴人に対して威嚇又は偽罔による不法行為を敢てしたとの事迹を明認すべき確証はないから、かかる不法行為を原因とする控訴人の主張は採用できない。

七、控訴人は、金沢市において土地収用法の規定に違反する行為があつたと主張するけれども、本件家屋の取毀収去が土地収用法によつて行われたものと認め得ないことは、原判決の理由のとおりであつて、当審にあらわれた各証拠によつても、その認定説示を覆すに足りないから、右主張は採用することはできない。

八、以上説明によつて明らかなように、本件補償金の交付については、金沢市もしくはその代表者金沢市長ないしは事務担当者に故意過失の責あるものとは認められないから、控訴人の被控訴人金沢市に対する損害賠償の請求が、国家賠償法に基くものか、それとも単なる民法上の不法行為によるものかに、かかわらず、その請求は失当であるといわなければならない。よつて控訴人の被控訴人金沢市に対する本訴請求は排斥を免れない。

第二被控訴人金沢市長に対する請求について。

控訴人の主張によると、被控訴人金沢市長(以下金沢市長という)は都市計画法の規定に従い主務大臣の監督のもとに金沢市において都市計画事業を執行管理する国の行政庁であるというのであつて、このことについては金沢市長も認めるところである。ところで控訴人の金沢市長に対する請求は、都市計画法によつて適用される土地収用法によつて決定された補償金自体についての不服の訴をしているのではなく、国家賠償法に基き金沢市公務員の故意もしくは過失による不法行為を原因として金沢市長に対してその損害賠償を請求するものであることは、弁論の全趣旨によつて明かである。本訴が国家賠償法による損害の賠償を求めるものとしても、それはいわゆる公法上の損失補償とは異り、その原因となる不法行為の性質に関せず専ら私法上の請求権であつて、しかもその対象となるのは、国または公共団体であり、元来法律上財産以上の主体となり得ない金沢市長なる行政官庁がかかる私法上の損害賠償の請求について当事者とはなり得ないものと解すべきである。

従つて金沢市長を相手方とする本訴は不適法として却下すべきものである。

第三しからば本件についてなした原判決は結局正当であるから、これを認容すべきものとする。

よつて本件控訴は理由なきものとしてこれを棄却し、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 浜田潔夫 仁井田秀穂 伊藤顕信)

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